FIDR(ファイダー)は、開発途上国の子どもたちの支援と緊急援助を行う、国際協力NGOです。

避難所生活を乗り切るための支援

2011年4月26日

宮古市長に支援物資の目録を贈呈しました

宮古市では応急仮設住宅が徐々にできあがってきています。避難所にいる方々は、これから次第に仮設住宅に入居されます。

完成間近の仮設住宅(宮古市)

FIDRは、津波により家財道具一切を失ってしまった被災者が、新たな場所で安心して暮らしを始められるよう、必須の道具を提供することにしました。
これから、宮古市に建設される仮設住宅全戸に、支援物資として、炊飯器、電気ポット、ストーブを提供します。また被災者が入居する市営住宅と雇用促進住宅64戸には、上記の品物に加え寝具、ガスコンロ、照明器具、テーブル、食器、洗濯機などを届けました。

調達した物品の各戸への配送に先立ち、市職員とともに確認しました

4月25日(月)、FIDR江川信彦常務理事は山本正徳宮古市長を訪問し、これら支援物品の目録を贈呈しました。市長からは被災時の状況や現在の市民のニーズについて丁寧な説明をいただき、FIDRの支援は有用かつ時宜に即したものであるとの篤い感謝の言葉をいただきました。

宮古市長に目録を贈呈したFIDR江川常務理事(写真右)
2011年4月25日

避難生活での健康を守るために

大勢の人々が生活の場を共にする避難所では、衛生管理が重要な課題になってきています。気温が徐々に上昇する中、それぞれの避難所では感染症の予防に特に気を配っています。
4月23日(土)FIDRは山田町、大槌町、田野畑村からの要請に応え、食器用洗剤、漂白剤、うがい薬、ごみ箱、ペーパータオル、殺虫剤、掃除機、冷蔵庫などの衛生管理に必要なトラック2台分の物資を各避難所に届けました。被災地では商業施設もほとんどなくなってしまったため、日用品さえ容易に購入できる状況にはありません。
今回も多くの法人の皆様にご協力いただき、被災された方々が必要とされる品を、最適のタイミングで届けることができました。

物資の輸送にご協力くださった(株)ヤマザキ物流のトラック
23日(土)の早朝、積荷が下ろされました(山田町)
田野畑村に届けられた様々な物資
2011年4月22日

山田町と田野畑村に冷蔵庫を届けました

避難所でのニーズは徐々に変化していきます。
生鮮食品や野菜などの食品は以前に比べるとだいぶ安定して届くようになってきました。 岩手の沿岸にも春風がそよぎ、桜が咲き始めています。そして気温が上昇してくると同時に、食材の保存が難しくなります。 避難所となっている学校や公民館などには、大量の食事を賄うに足る冷蔵庫がなく、食物の安全性が懸念されていました。

田野畑村の物資集積所。様々な支援物資が届けられています

岩手県から冷蔵庫の支援要請を受けたFIDRは、4月19日(火)、山田町に10台、田野畑村に6台届けました。FIDRの迅速な対応に避難所の方々からは、喜びの声が聞かれました。
必要なものを必要なところに―。
さらなる支援ニーズを見きわめるため、本日の午後、再びFIDRスタッフは現地に向かいます。

避難所の山田南小学校(山田町)
山田町の大沢小学校に届けられた冷蔵庫
田野畑村の避難所へ
冷蔵庫は、大きさ、タイプ、使いやすさなどを考慮しながら選びました(田野畑村の避難所にて)
2011年4月19日

岩手県田野畑村を調査しました。

宮古市から約30kmあまり北に位置する田野畑村は、典型的なリアス式地形の土地です。村役場は標高200mほどの丘陵の上にあります。そこから東に一気に坂道を駆け下りた先の海辺に、羅賀や島越の集落が現れます。ここで津波により壊滅的な打撃を受け、震災で亡くなった方、行方不明になった方はあわせて38名、倒壊した家屋は238棟に上りました。

津波で崩壊した三陸鉄道北リアス線島越駅

田野畑村の避難所の様子

FIDRは16日に田野畑村を訪れました。
地理的にやや遠くに位置しているせいか、外部の団体はあまり関わっていませんでしたが、その分250名が生活を送る避難所は、苦境にありながらもお互いに支え合う空気に包まれているようでした。村のコミュニティセンターが、突如集団生活の場に転用されたため、さまざまな道具や日用品がまだ不足しているようです。FIDRはここでもつぶさにニーズを調べ、速やかに支援することとしました。

田野畑村役場の方から話を聞くFIDRスタッフ

避難所の状況を調べるFIDRスタッフ

2011年4月15日

岩手県山田町に支援物資を届けました

避難所での毎日の食事は、長引く避難生活を乗り越えていくための基盤となるものです。比較的規模の大きい避難所では自衛隊が炊き出しを行っています。それ以外の避難所では市民団体や避難所の人々自らが炊事をしています。食材は徐々に安定的に届くようになりつつありますが、味付けに肝心な調味料が不足しているため、料理に苦労しているという声が各地で聞かれました。岩手県山田町でも、避難所への物資支援が未だ不足していることが分かりました。

そこでFIDRは、コンソメや和風だし、みそ、ごま油、食用油、トマトケチャップなどの調味料をはじめ、クラッカー、食器、シャンプー、コンディショナー、ボディーソープ等の要望が高い物資を10トントラックに満載し、14日午前10時、山田町に届けました。 これらの支援物資の調達と輸送は、FIDR法人賛助会員の皆さまのご協力によって即座に対応することができました。

山田町物資集積所に到着した(株)ヤマザキ物流の輸送車

支援物資は、自衛隊・ボランティアの協力で速やかに運ばれました

避難所の食事の例(山田町大沢中学校)

調理設備がある場所では、お母さんたちが炊事をしています(山田織笠コミュニティセンターにて)
2011年4月13日

山田町と大槌町にも物資を届けます

岩手県宮古市の南に位置する山田町、そのさらに南の大槌町は、3月11日に津波に呑まれ、その後発生した火災で焼けつくされました。徐々に復興の兆しが見えてきた宮古市に比べ、この2つの町は中心部も壊滅的な被害を受けてしまったため、震災から1ヵ月を経た今日も避難生活を送る人々をとりまく状況はなお厳しい模様です。
4月7日(木)〜8日(金)にかけて、FIDRは、町役場や避難所で調査を行った結果、調味料や食器、石鹸などの物資の支援を要請されました。長引く避難生活を送る方々を支えるために、きめの細かいサポートが重要になっています。
FIDRは即座にこの要請に応えることにしました。

山田町の様子 (4月8日)

避難所(山田高校)にて (4月7日)

町役場の職員に話を聞くFIDRスタッフ(写真右) (4月7日)
2011年4月8日

岩手県宮古市にて、応急仮設住宅に必要な物資を届けます

宮古市では応急仮設住宅の建設が始まりました。海と山に挟まれた町なので、用地の確保が難しく、入居を希望するおよそ1500世帯が全て避難所を離れることができるまでには、まだしばらくの時間がかかりそうです。現在建設中の応急仮設住宅は162戸で、今月下旬から来月上中にかけて入居できる見通しです。また、これに先立ち、市営住宅と雇用促進住宅には70世帯が4月4日より入居されました。

宮古市の応急仮設住宅建設風景

建設中の宮古市応急仮設住宅

津波で全ての家財道具を失ってしまった被災者の方々が、これらの住宅に移ってから生活に支障をきたすことがないよう、FIDRは岩手県および宮古市と協議の上、必要な物資を提供することとしました。
今後の予定としては、応急仮設住宅に入居される全世帯に炊飯器と電気ポット、石油ストーブを用意します。また、市営住宅、雇用促進住宅に入居された世帯にはこの3品に加え、寝具、ガスコンロ、調理器具、食器などを提供します。
詳細についてはは、後日ご報告します。

提供する備品について、宮古市職員と打ち合わせをしました
2011年4月4日

2回目の被災地調査を行っています

4月2日(土)より、職員2名を岩手県宮古市へ派遣し、2回目の被災地調査を行っています。
仮設住宅での生活に必要な備品等を提供する予定です。支援内容の詳細については、岩手県庁や市役所、避難所を訪問した後、早急に決定します。

2011年3月29日

岩手県宮古市に支援物資を届けました

FIDRは3月26日(土)、岩手県宮古市の震災被災者のために支援物資を届けました。20日に宮古市の状況を調査したFIDRスタッフは、炊き出しが始まるにあたり、特に野菜と調味料が必要との要請を受けました。また避難所では食器が不十分で、食事に不自由しているという事情を把握しました。そこで早速、FIDR東京事務局はこれらの物資の調達と輸送手段の手配に努めました。
法人の皆様のご協力をいただき、にんじん、じゃがいも、玉ねぎ、醤油、和風だし、砂糖、食用油、漬物、ベビーフード、食器、石鹸など、あわせて609箱、およそ6.5tの品物を取り寄せ、輸送用の大型トラックを確保することができました。

FIDRの物資を積んだトラックは25日の夕刻に東京を出発し、翌朝、雪の降る宮古市の救援物資集積所に到着しました。市の職員やボランティアの方々の団結した働きで、大量の物資は速やかに荷台から降ろされ、品物の種別ごとに所定のエリアに留置されました。これらはその後すぐに、市内各地の被災者のもとに運んで行かれました。
宮古市ではおよそ5,500名が避難生活を送っています。温かくおいしい食事で寒さとストレスに耐える力を養っていただきたいと願ってやみません。

輸送は(株)ヤマザキ物流よりご協力いただきました。(宮古市支援物資集積所にて)
荷物の積み下ろしをするFIDRスタッフ
支援物資は、すぐに被災者のもとへ届けられました
2011年3月24日

食品1,210箱を届けました

FIDRは、本日宮城県塩釜市に支援物資を急送しました。

塩釜市内の物資集積所(塩釜ガス体育館)にて、支援物資を積み降ろしを行っている様子

長期戦の避難生活が続く中、現地では被災者の健康と心の安らぎを支える食事を安定的に確保することが重要な課題となっています。
FIDRは、多くの法人賛助会員の皆様の温かいご協力により、クッキーや飲料、ソーセージ、ツナ缶詰などの多種の食品1,210箱をご提供いただきました。これらの支援物資は、昨夜東京から発送し、今朝8時に約1,800名の避難生活を送る方々がいる塩釜市にお届けしました。 命をつなぐ食べものの支援に、塩釜市の職員の方々は喜びと感謝の言葉を述べておられました。

塩釜市のボランティアの方々が被災した民家の後片付けなどを手伝っています

塩釜市は3.11の震災発生後、港のコンビナートが炎上し、全戸停電の中、市民は数日間怖い想いをされたとのこと。ようやく電力が回復し、落ち着きを取り戻したようです。

2011年3月23日

宮城県女川町に支援物資のお菓子を届けました

3月23日(水)、FIDRは女川町にもお菓子を届けました。
女川町の20か所の避難所で生活を送る方々の安らぎと励ましにと、23日に(株)不二家のご厚意で寄贈いただいたお菓子は、218箱。輸送を山崎製パン(株)がご協力くださり、支援物資を迅速に運ぶことができました。

(株)不二家からご提供いただいたお菓子(カントリーマアムなど 計218箱)
被災地の中を走る山崎製パン(株)の輸送車
自衛隊の協力を得て支援物資を搬入しました

風光明媚で知られた女川町。その景観は、津波の襲来によって、一転しました。今やかつての街並みは廃墟の中に残像さえとどめないほどに破壊されてしまいました。この町での死者・行方不明者はおよそ150名。23日時点で避難生活を送る人は4,630名、自宅に戻ることができたものの、物資の支援を必要とする人は2,816名です。 小高い土地に建つ曹洞宗保福寺には尾浦町の2つの集落から集まった180名が避難生活を送っています。
小雪が舞う中、廃材を燃やして暖をとっている数名の方にお話を伺うことができました。

「あの時、人々は大急ぎでこのお寺に逃げてきたんだ。ここは大きな津波にも安全とされている場所なので」と漁師の方が語ってくれました。

「地震から津波の到達まで少し時間があったから、逃げる余裕はあったんだよ。この辺りは、これまでにも何度か津波の警報が発せられたことがあったんだが、その時は少し海面が上昇した程度で、さほど恐れるものではなかった。今回の津波もそんなものだと思ってしまった人が気の毒なことになったんだ」

震災から1週間余りが経って、自衛隊による炊き出しもようやく始まりました。このお寺に身を寄せる方々は、それまでの間、がれきのあいだから食材や鍋、釜などを拾ってきて、湧水を利用して自分たちで煮炊きしてしのいできたとのこと。淡々と語られる言葉の背後に、避難されている方々の心身の多大な労苦がしのばれます。

女川町の風景
2011年3月23日

支援物資としてお菓子を届けました

FIDRは3月22日(火)、津波の被害が甚大であった宮城県南三陸町と気仙沼市で、避難生活を送る人々のもとにお菓子を届けました。

これまでに現地で収集した情報から、お菓子類が支援物資として少なく、希望する声があがっていることを把握しました。 また、宮城県の災害対策本部から、避難生活を送る人々の中に子どもが多くいる南三陸町に、ぜひ持って行ってもらいたいという要請がありました。 そこでFIDRは、(株)東ハト、(株)不二家から寄贈いただいたトラック1台分のお菓子を支援物資として提供することにしました。
津波の発生時、子どもたちはまだ学校にいたので、多くが難を逃れたものの、親を失ってしまった子どもも少なくないようです。 支援物資の集積所では、お菓子の到着に喜ぶ声が聞かれました。

荷降ろしの様子(南三陸町)

長く続く避難生活では肉体的、精神的な疲労が募ります。同じような食事が続きがちになるので、食べ物のバラエティーとバランスは重要な意味を持ちます。
今回のお菓子が、子どもたちを含む多くの方々を元気づける一助になることを期待しています。

オールレーズン、キャラメルコーン<提供企業:(株)東ハト>、カントリーマアム、ミルキー<提供企業:(株)不二家>など、合計約600箱のお菓子を、被災地まで届けました!
2011年3月21日

現地調査を行っています

17日(木)、FIDR職員3名が宮城県および岩手県へ出発し、被災地にて現地調査を行いました。
巨大津波が襲った沿岸の地域では、建物が押し崩れ、電柱が倒れ、車が横転している光景が一面に広がっています。文字通り壊滅状態となった町に漂う淀んだ海水の匂いは、今なお恐怖の一瞬を生々しく証言しているように感じられます。

壊滅状態の宮城県女川町

避難生活を送る人は、宮城県でおよそ22万人、岩手県でおよそ5万人です(3月17日時点)。避難所は行政当局が指定した学校や公民館などばかりでなく、個人宅に被災者が寄り集まり避難所となっているところも多く、その総数は両県で1,300か所にのぼります。被災時の混乱で家族が離れ離れになってしまったまま、別の避難所にいるかもしれない家族の状態を確認することも簡単ではないようです。停電、断水が続き、電話も繋がらず、燃料が極めて不足しているために、交通の便が極度に制限されています。夜間の気温は0℃を下回る寒さの中、人々は悲しみを乗り越え、力を合わせて苦難を克服しようとしている姿に私たちは深く心を打たれました。

津波に流された車(宮城県石巻市)
津波の高さは15mにも及んだといわれています(宮城県女川町)

私たちはそれぞれの県庁に設置された災害対策本部と協議し、避難所の現状と各方面からの支援計画を確認しました。そこでは避難所では毛布や飲料水は徐々に足りてきたものの、食糧はまだ大幅に不足しているという情報を得ました。
これに即応するべく、FIDRは今週より宮城・岩手で避難生活を送る人々のもとに食糧を届けることとしました。

2011年3月18日

調査のため、職員を現地に派遣しました

3月17日(木)午後、FIDR職員3名が被災地へ向け出発しました。現地を調査し、今後の緊急援助の方針を決定します。
少しでも早く必要な支援を被災地まで届けることができるよう、これから活動を行っていきます。