
※「部活動サポートプログラム」と「中高生ボランティア・サポートプログラム」は2014年度で終了とさせていただきました。何卒ご了承くださいませ。

東日本大震災以降、一関市内の中学校では主に陸前高田市の中学校に対して支援を行ってきました。その中で一関市立中里中学校では、資源回収を行った収益金で中学校の校庭にソーラー街路灯を寄贈したり、希望者による被災地での草刈り作業など様々な活動を実施してきました。そして昨年の夏には陸前高田市の復興サポートステーションの方と共に、陸前高田市気仙町の夏祭り会場の草刈りと、がれき・ガラス・瓦などの撤去と分別作業を行いました。
作業に入る前に復興サポートステーションの方から「活動の成果も大切だが、ボランティア活動をしている姿が地域の方を勇気づける」という言葉をかけてもらい、総勢35名の生徒たちは約4時間もの間、炎天下の駐車スペースで作業を行いました。
生徒たちは被災地域を実際に目で見て、復興の道が簡単ではないことを感じる一方で、
「この活動で、人の為に一生懸命頑張ることの大切さを知った。」
「私たちの一生懸命な姿を見て、高田の方々が勇気づけられていれば、私達のボランティアは意味のあるものだったのではないかと思います。」
といった、このボランティアの意味を実感したという感想を持ったようです。
これからも生徒たちの活動が、被災地の方を勇気づけていくことでしょう。
昨年6月、岩手県の沿岸部の高校に通う生徒と内陸部の高校に通う生徒が、合同で、釜石市内の仮設住宅に花の寄せ植えをプレゼントするボランティアを行いました。参加したのは、釜石高等学校、釜石商工高等学校、大槌高等学校、盛岡第四高等学校、専修大学北上高等学校の生徒会メンバー34人です。
5校の生徒たちがボランティア活動を行うようになったのは2013年の秋に行われた県内高校の生徒会役員が集う「リーダー研修会」内で知り合ったのがきっかけで、釜石高等学校が中心となって活動が企画されました。
参加した生徒たちは釜石高校に集まり、季節の花をプランターに植え替え、花の寄せ植えを制作しました。その後、釜石市内の5ヵ所の仮設住宅を訪れ、お住まいの皆様にお配りしつつ、住民の方とふれ合いました。また、生徒たちは、震災の被害が大きかった大槌町を訪れ、大槌高校の生徒から震災当時の様子について説明を受けて、町の復興の様子を見て回りました。
生徒たちは、大槌高校の生徒や釜石市の仮設住宅の住民の方から震災当時の様子や現在の復興状況を聞き、自分たちが復興に向けてできることについて考える機会となったようです。
岩手県内でも場所によって震災の影響は異なり、特に内陸部に暮らす生徒たちにとって、被害の大きかった沿岸地域の現状を知る機会となりました。生徒たちは、震災の経験を風化させてはならないと強く感じたようです。
昨年5月、宮城県石巻市内の仮設住宅大橋団地集会所にて、石巻商業高等学校茶道部の皆さんが団地にお住まいの方々をお招きしてボランティア茶会を開催しました。6人の女子部員は着物姿で参加し、お茶やお菓子を振る舞いながら地域の方と交流しました。
同校の茶道部では、前年もボランティア茶会を開催しています。部員たちはは昨年の反省点を踏まえ「ゆっくりと茶道の雰囲気を楽しんでもらいたい」という思いから、季節に合わせたお茶菓子選びや、お茶の選定など、真心のおもてなしをするためにこだわりを持って準備を進めてきました。
当日は約70人程の方が来られ、部員たちはとても緊張している様子でしたが、自分たちが点てたお茶によって皆さんの顔が自然と笑顔になるのを見て、接客する部員たちも徐々に笑顔があふれ、会話もはずむようになりました。
「ありがとう」「おいしかった」「また来年もやってね」
参加してくださった方からは、温かいねぎらいの言葉をいただきました。
「皆さんに喜んで頂いて本当によかった」「機会があれば、来年も頑張りたい」
部員たちは、事前の準備や当日の住民の方々との交流など、ボランティア茶会を通して様々な学びを得たことと思います。
この会が、地域のコミュニティー活動の活性化に繋がっていくことを期待しています。
福島県立保原高等学校の美術部員は、避難生活が続く人々の気持ちを少しでも明るくするため「がれきに花を咲かせようプロジェクト」に取り組んでいます。これまで、壁画制作や住民と一緒に壁掛けを作るワークショップなどを行ってきました。
今年6月、双葉町民が避難している福島市飯坂町平野の仮設住宅で、部員22名が2か所に壁画を制作しました。
一か所では、双葉町の郡山海岸にあり、町のシンボルであった「マリーンハウスふたば」を絵柄にしてほしいという自治会の要望に応えました。町の方々の思いを意識しつつ、1・2年生が5時間かけて丁寧に取り組み、無事完成。
もう一か所では、3年生が鮮やかな花火を描きました。バランスが難しく下書きに時間がかかってしまいましたが、きれいな大輪が完成しました。
「皆さんの笑顔が見られるだけで、この活動を続けてよかったと思う」完成後、壁画の前で故郷を思い出しながら立ち話をする住民の方々の様子が印象的だったようです。
昨年、アメリカで東日本大震災の被害と復興についてプレゼンテーションを行った岩手県立水沢高校Kizuna Project Team。その生徒26名が、6月16日、宮古市で活動しているユースボランティア「みやっこベース」の高校生サミットに参加し、米国での活動報告をした後、「復興とは?」というテーマについて話し合いました。
内陸に住み、震災の被害を身近に感じる機会が少なかった水沢高校の生徒たちは、津波被害を直接受けた宮古地区の高校生たちとの考えに対するギャップを感じたとのこと。「復興」は「復旧」ではなく、「以前よりも良い町にすること」という考えに感銘を受けたといいます。そして、復興に向けて大事なことは、「みんなで考え」、「発信し、伝えていく」ことであるという認識を強くしました。
これを機に、生徒たちは宮古市をはじめとする岩手県沿岸をPRする活動に取り組むことになりました。まずは8月末に宮古高校と水沢高校それぞれに開催する文化祭で、活動紹介や復興支援グッズの製作、販売を行うことを計画しています。同じ県内ながら、異なる地域に暮らす高校生同士の交流は、彼らにとって改めて復興を考え、行動を起こすきっかけとなりました。
新地町では、沿岸部が津波を受けて、生徒や生徒の家族・親戚を含む住民の皆さんは内陸部に近い場所の仮設住宅に住んでいます。そのような中で、厳しい生活の中でも春が待ち遠しくなるような、鉢植えをつくって、仮設住宅に住む方々にプレゼントしたいとの希望が生徒たちの間から出ました。FIDRは、チューリップの球根や土や鉢、メッセージカードなど、プレセントする鉢植えに必要な材料費を提供しました。
ボランティア活動がどういうことをするのか最初はよくわからなかった生徒たちも鉢植えを作ってメッセージを書くころには、ボランティアって結構大変だと感じたり、楽しさや大切さを知ることができたりしました。鉢植えを渡した相手の方がとても喜んでくれたのが嬉しかったとの感想もありました。自分たちのやったことが人に喜ばれたとき、達成感を持つことができ、他の人の役にたつことをまたやりたい、との気持ちが湧いてきたようです。
同じ県内に暮らす仲間として被災地の現状を知り、少しでも力になりたいとの思いから、2学年の生徒たちは陸前高田市と大船渡市でボランティア活動を体験しました。がれきの撤去作業をするには安全靴が必要で、靴の中に入れる鉄板入りインソールの代金と移動代の一部をFIDRが提供しました。
陸前高田市: ボランティアセンターの指示により、合計100名の生徒、保護者、教員が津波で流された住宅跡のがれきの撤去と分別作業を行いました。何もない草地だと思っていた場所に行ったら、がれきに交じって子どものおもちゃ、コップや洋服などが見つかり、ここに人が住んでいたことを実感し悲しくなった生徒もいました。たった1日のボランティア活動では限りがあるけどやってよかったという感想が多く、また、今の被災地の現状をもっと多くの人に知ってほしいと思った生徒たちが多かったようです。
大船渡市: ボランティアセンターの指示により、合計24名の生徒、保護者、教員が仮設住宅近くの公民館の敷地を整地しました。石や木を取り除く作業をしていると仮設住宅に住んでいる子どもたちが手伝いに来てくれたり、大人には「ありがとう」「本当にうれしい」などの声をかけてもらい、疲れがとれてやる気がでたという生徒もいました。被災地に行って元気になってもらうつもりが逆に元気をもらったと言いたくなる気持ちがよくわかったとの感想もありました。
陸前高田市は、名勝高田松原を有し、震災前には年に100万人を超える観光客が訪ねる観光地でした。しかし、震災により壊滅的な被害を受け、7万本の松原の中から津波に耐えた「奇跡の一本松」は、津波被害の甚大さと希望の象徴としてマスコミでも多く取り上げられました。
夏休みに入ってすぐ、岩手県内陸部にある岩谷堂高等学校の生徒さんたちは、子どものころに来たことのあるなじみ深い海水浴場の1日も早い復活のために、瓦礫撤去や石拾いのボランティア活動を実施しました。
大きな石の撤去や細かい瓦礫や危険物の収集など、高校生だからできる力仕事やきめ細かい作業に汗を流し、安心して素足で歩けるような状況まであと少しという状態にまで砂浜を復活させることができました。
当日は気温が高く、「30分作業しては、10分休憩」という方法で頑張りました。
宮古商業高等学校吹奏楽部のみなさんが、昨年、この夏祭りに参加したのは、震災によって家を失くされた方たちの仮設住宅への移転がやっと落ち着いた頃、多くの人たちがこれからの生活に不安を抱えている時期でした。「宮古を元気にしよう!」と老若男女が盛り上がれる曲を選び、演奏を披露。好評を博したため、「今年もぜひ」とイベント主催者である市内の福祉施設から声がかかりました。
今年の選曲は、「夏祭り」「ワイルドアットハート」「やさしくなりたい」「愛燦々」「学園天国」。参加者の手拍子や掛け声に後押しされ、楽しんで演奏することができました。アンコールに応えて「涙そうそう」も披露。演奏後にもらった「ベリーグッド!」という言葉は多くの宮商生の心に刻まれたようです。
今年が宮商生としては最後の参加となった3年生は、「来年もまた、こうした笑顔と元気を届ける活動が続けることができたらいいと思います」と後輩たちにメッセージを残しました。みんなが楽しみにする、地域に根差した恒例ボランティアとなることを期待しています。
宮城県のほぼ真ん中に位置する黒川郡大和町は、震災によって移転を余儀なくされた方々を宮城・福島・岩手から、約140人受け入れています。同町はまた、大手自動車メーカーをはじめとする多くの企業の製造拠点となっている、県内最大規模の工業団地を有し、地域と一体となったモノづくりで、産業振興と復興支援に積極的に取り組んでいます。
8月5日、黒川高校機械科のみなさんは、地域の一員として、大和町の夏の一大イベント「まほろば祭り」に参加しました。「みんなが楽しめるもの」「危険が伴わないもの」「思い出が形に残るもの」というポイントで話し合い、決定したのは「かんたん鋳造でオリジナルキーホルダーをつくろう!」という企画。被災による心の傷を「モノづくり」で癒したいという思いを込めました。
地域の人たちとの触れ合った経験から、今後も積極的にボランティア活動をしていこうと意気込みを多くの生徒さんたちが語ってくれました。
『当日は、多くの人たちの笑顔を見ることができました。私が震災で受けた被害は大きくありませんでしたが、同じ震災を経験したものとして、少しでも楽しんでもらえたので、本当に良かったと思います。』
『ニュースでも言われていたし、余震も続いていたので、大きな地震がくることは覚悟していました。でも、あの地震は自分の想像をはるかに超えるものでした。家のものが床に落ち、電気・水道・ガスが復活するまでに何日もかかりました。電気が戻ってすぐにつけてテレビで見た津波による被害を受けた人たち。電気が何日かないだけで苦痛を覚えていた自分が恥ずかしくなりました。その時から何かボランティアをしたいと思っていました。なかなか行動に移せなかったけど、今回、ボランティアに参加し、多くの人に元気を与えることができ、自分たちもいろいろな人の笑顔や優しさに触れられてよかったです。』
『イベントに出展をしている人たち同士にも絆があることが分かりました。私たちも地域の人たちと触れ合い、宮城県の復興に協力できたと思いました。』
『これからも地域に密着し、地域と共に成長できる学校でありたいと思いました。地域から信頼されて、地域に貢献できる学校になるよう、自分から頑張りたいと思います。』
7月某日、30度近い炎天下の中。宮城県大崎市立古川北中学校の3年生のみなさん(69名)が石巻市にある仮設住宅地区で草むしりをしました。害虫が発生やすいこの時期に、元気な中学生たちが一気に除草をしてくれて、仮設住宅地に暮らす高齢者の方たちは「とっても助かった」と笑顔で声をかけてくれました。
現地に実際に足を運び、自分の五感で感じること。心を動かされ、いろいろと考えること―これが、ボランティア活動の醍醐味ともいえます。古川北中学校のみなさんは、震災発生後から被災地の方々の支えになろうといろいろな活動を実施してきましたが、今回、被災地に直接赴いたボランティア活動ではまた違った発見があったようです。
「僕は被災地ボランティアに参加して、最初に思ったことは、『実際に訪問しないと被災の程度は分からない』ということでした。石巻に着く前は『どうせ片付いているんだから、そんなにひどい状況ではないのではないか』と思っていました。しかし、石巻の沿岸部に着いてみると、そこは同じ宮城県なのかと思うほどでした。建物はないし、靴が片方だけ落ちていたり、写真が落ちていたりして、本当に具合が悪くなりそうなくらい無惨な光景でした。」
「小学校は燃えて黒くなっていて、ガラスもなかった。『津波の力』もすごいけど、『火の力』もすごいんだなと思った。」
「仮設住宅の草抜きボランティアで最初に思ったのが、住宅一つの大きさがあまりないことです。小さな仮設住宅の中で生活するのは、とても大変なことだと思いました。」
「積み上げられた瓦礫の山、塩害で育つことのできない植物たち、どれをとってもとても現実とは信じがたい光景。僕はそんな中でタンポポが一輪だけ咲いているのが見え、この瓦礫の中、必死に生きようとする姿に心を打たれました。」
「石巻の人たちは元気に明るく暮らしていました。そこには震災に負けない強い気持ちが感じられました。過去ではなく今を大切に生きようと思いました。」
「私たちはまだ復興まで時間がかかるという石巻の現状を、地域に伝えていかなければなりません。それによって多くの人が石巻の事を知り、力になろうと努力すると思いました。」
「私たちが住んでいる所までは津波は来なかったけれど、宮城の人としてみんなが頑張れば、復興できるときまで頑張ろうと思えることが出来ました。それが10年、20年先でも、みんなで力を合わせて、復興できればいいと思いました。」
除草作業の後には、震災への祈りを込めて同校教諭が作詞作曲した「心をひとつに〜夢と希望と決意をもって〜」をアカペラで披露。涙を流し聞いて下さる方もいました。生徒のみなさんの応援メッセージは、しっかりと石巻の人たちの心に届きました。
2012年7月のある日、陸前高田市の二日市仮設住宅団地には、明るい笑い声が広がりました。
津波によって家を失い、仮設住宅に暮らす人たちに、2度目の夏が訪れました。断熱性能が低い住宅環境に加えて、冷房機器の不足の問題もあった昨年と比べると、少しずつではありますが落ち着いた生活ができるようになったようです。それでも、なかなか周囲の人と接する機会のない方々のため、高校生の自分たちができることをやろうと、前沢高校のJRC同好会や、ウェイトリフティング部有志ら26人は、交流の場『縁側カフェ』を開くことにしました。
カフェでは、2日間かけて作った手作りクッキーを添えて、コーヒーを提供。おいしいと何杯もおかわりしてくれたおじさんもいました。おばあちゃんたちとはトランプゲームで大盛り上がり。子どもたちも、クッキーをほおばりながら、一緒にブロック遊びに熱中しました。
同じ県内の高校生として、これまでにも被災地ボランティアの経験があるみなさんですが、今回はより直接的に人々と触れ合ったことで、新しい気づきもあったようです。
『震災を経験した人と触れ合って、やっぱり津波の記憶はきえないけど、楽しいことをすれば笑顔になるんだと思いました。』
『震災を経験した人は、どんなことがあっても頑張って生きていくんだという気持ちを常にもっているんだなと思いました』
『小さい子どもがいる家もあった。今は2歳だけど、震災のときはまだ1歳くらいのときだから、本当に大変だっただろうなと思った。何が起こって、なんで仮設に住んでいるのかも分からないだろうし、大人になって津波の話を聞いたら何を思うのかな〜と思った』
震災直後からの被災地への支援活動をしてきた岩手県立前沢高等学校生徒会は、『つなげよう絆の輪』のスローガンを掲げ、今年度も積極的な取り組みをしています。6月23日、運動部やJRC同好会などのみなさん総勢66人が二手に分かれて沿岸地域に出向きました。
〜大船渡市〜
震災から1年以上経った被災地の風景。瓦礫が撤去された更地、雑草が繁茂した田畑、廃墟化した建物。
新しい街ができるにはまだ時間がかかります。来年はこの更地にも雑草が生え、変わり果てた街を一層際立たせることになってしまいます。そのような土地に花を植え、牧草地をつくって羊を放ち、新しい街づくりへの原動力としようという大船渡市越喜来町の活動に生徒のみなさんが参加しました。
『拾っても拾っても石がでてきて、気が遠くなるような作業でした。』
ひたすらにガラスの破片、大小の石を拾いのける作業。かがめた腰が痛くなるほどでしたが、4時間後には花壇と安心して羊たちを放牧できる牧草地となりました。高校生たちが、日頃の部活動で培った体力でもくもくと力仕事をしてくれたことで、街の新しい景観づくりは大幅に進んだと喜ばれました。
後日、前沢高校のみなさんが作った牧草地に、羊が放たれたという便りも届きました。
〜陸前高田市〜
大きな瓦礫の撤去はほぼ終わった被災地ですが、小さなものはまだ無数に残っています。ここに暮らしている人たちには、自分の家があった土地で、ひとつひとつ埋もれた瓦礫を取り除く作業は、悲しい記憶が呼び覚まされ、なかなか進まないため、ボランティアを依頼する人も多いとのこと。陸前高田市では、そんな方々の力になれるよう瓦礫撤去作業を行いました。
泥まみれの瓦、茶碗、お皿。おもちゃ。お祭りの様子を録画したと思われるビデオテープや写真。思い出の品がぞくぞくと現れました。この場所で人が生活していたんだなと実感したり、改めて津波の怖さを感じたり、これらのものを失くしてしまった人たちは今、どうしているのだろうかと思ったり・・・。拾っても拾ってもでてくる思い出の品と同じ数だけ、生徒のみなさんにもさまざまな思いが巡ったようです。
『今まで被災した方々の気持ちを考えたり、自分が同じ経験をしていたらとか考えたことがなかったけど、現場で活動をしていろいろな私物を見つけたときに、もし自分が経験していたらなど…いろいろなことを考えました。』
『依頼主の人がすぐにその場を離れました。やっぱり流された自分の家を見たり、片づけたりするのは怖いことなのかなと思いました。』
『ボランティアには岩手の人だけではなく、全国各地から、そして海外からも参加していて感動しました』
『震災から1年が経ち、TVとかで取り上げられることが少なくなったけど、被災地にはまだ瓦礫がたくさんあったり、壊れた建物がそのまま放置されたりで、まだまだ頑張っていかなきゃと思いました。』
岩手県内陸部の奥州市を出発したバスが陸前高田市に入ると、それまでにぎやかだったバスの中はパタと静かになりました。目の前に広がったのは、かつて何度も遊びに来た、あの陸前高田の浜の変わり果てた光景でした。
2012年6月1日、岩手県立水沢工業高等学校の『水工被災地ボランティアグループ』は、陸前高田市で草取りと細かいがれき撤去のボランティアを行いました。作業を行ったのは、被災前は72世帯が暮らしていたという住宅跡地。「以前は72軒あった家も、残ったのは2軒だけだった」と作業前に聞いた話を心に刻み、少しでも力になりたいと総勢220名で一生懸命作業に取り組みました。
「最初見たときは、がれきは大した量にも見えず、すぐに終わると思っていましたが、始めてみるとなかなか片付きませんでした。震災から1年以上経ってもなかなか処理が進んでいない理由が分かったような気がしました」
「作業は、地味で辛く、そして暑かった。この作業を依頼したご高齢の方は私たちが行くまでずっとこれを少人数でやっていたのだろうか。それとも一人でやっていたのだろうか。どちらにせよ凄いと思った。」
「今回のボランティア活動を通して、自分がどれだけ恵まれた生活をしているのかを知ることが出来ました。」
「今の自分にできることは草取りくらいだと思い、こんな自分を小さな一人の人間にすぎないと実感しました。でも、みんなが力を合わせれば出来ることは少なくないとも思いました。」
「今回の私たちの活動は微力なものだったと思います。しかし、同じ県に住む私たちがこれからを考えて復興につなげていきたいと思います。」
これまでもベンチを製作して仮設住宅へ届けるなどの活動をしてきた水沢工業高校の皆さん。今回の経験を通して、今後も積極的にボランティア活動を続けていこうという思いを強くしたようです。
2012年5月8日、岩手県内陸部より盛岡市立高等学校1年生のみなさん総勢320人が大槌町を訪れ、海岸の清掃、側溝の泥出しなどのボランティア活動を行いました。体力のいる作業を、コツコツとやる中で、改めて震災について、そして自分たちができることについて考える機会となったようです。
「泥だらけのぬいぐるみを発見しました。それを見た時、私は一瞬にして、今自分たちが集めているものをゴミだとは思えなくなりました。次々と掘り出されるカセットテープ、靴、衣類、記念品の数々。見た目では、もう汚れて使えなくなったり、壊れていたりと、ゴミと呼ぶしかないもの。しかし、私は人々の「日常」が掘り出されているのだと思いました。見つけられたもの達は、なんだか嬉しそうに見えたし、私も嬉しかったです。」
「何を拾っても「これは誰かが使っていたものだ。まだ誰かが探しているかもしれない。本当に処分していいのだろうか」と思いました。大きなものは片付いているけど、小さいものはまだあちこちに残っていました。これらを片付けるのには、多くの人手が必要で、内陸の方からも助けが必要なのだと思いました。このボランティア活動を通して、今必要なのは、若い人たちの力だと感じました。これから自分たちの地域を支えていけるのも、高校生だと思いました。」
「建物もなく、人もいない景色の中で、たくさんの鯉のぼりが風に揺れていました。あの鯉のぼりたちは、震災で命を失った多くの子どもたちへの思いが込められていると思いました。震災によって大切な人やものを失った多くの人たちの気持ちは、私たちには理解しきれないほどだと痛感しました。被災者の方々の気持ちを真には理解できなかったり、被災地を復興させる大きな力を持たない私たちに出来ることは、震災と被災地のことを忘れず、思いやり、復興のために微力ながらも力添えすることだと思いました。」
“宮商生がつくった、わがまち宮古Map”──自分たちの目で津波で流されてしまった街を見て、自分たちの耳で宮古の復興に向けて頑張っている人の声を聞き、自分たちが遠くからボランティアに来てくれる人たちと触れ合って、宮古商業高校の生徒会が中心となって作ったタウンマップです。宮商生が選んだ宮古おすすめの名所や食べ物屋さん、おみやげを紹介しています。
名所の案内では、津波被害で通行止めとなっている道のお知らせと代替交通機関の情報を載せ、お店の紹介は、お薦めメニューに加え復興にむけたお店の方のメッセージも盛り込んでいます。『もっと多くの人たちに宮古のいい所を知って来てもらいたい!』『宮古で頑張っている人たちのことを知ってもらいたい!』という宮商生の思いと工夫が詰まっています。
「このマップのよいところは、高校生が自分たちの手で、費用もノウハウもない中精一杯作ったというところがきちんと伝わることだと思います。宮古出身の方など縁のある方は、懐かしさや地元の高校生のこのような取り組みに改めて宮古への思いを強くするでしょうし、今まで宮古に縁のなかった方にも、宮古という町への興味を持っていただくことのできるとても良いマップだと思いますよ。」(店にMapを置いた方からのメッセージ)
当初作成した1,200部を地元商店や観光協会に配布したところ、それを見た高校OBの方からさっそく自分の店にも置きたいという連絡を受けました。そこで、さらに1,000部を増刷し、盛岡や東京にも届けました。
Mapづくりを通して、宮商生と宮古市の方とのつながりを改めて感じることができたという宮商生。そんなつながりが今度はこのタウンマップを手に取ってくださった方たちにもつながっています。
経験したことのない強い揺れ、続く停電や断水。岩手県では沿岸部ばかりでなく内陸部にても誰もが不自由と不安とに耐えてきました。それでも岩手県立盛岡第三高等学校では、生徒会執行部、弓道部、陸上部、個人有志の総勢80名が、自分たちのいる内陸部より、津波に襲われ被害がさらに甚大であった沿岸部での復興ボランティアを行おうと、11月6日に陸前高田市に向かいました。あの日からすでに8カ月近くの月日が過ぎた時点で、約90キロメートルの距離の先で生徒さんたちの目に映ったものは・・・
「テレビで見る限りでは、復興の目処が立っている場所がよく放映され、希望が持てる感じもするが、実際に津波の被災地に行ってみると、バスに乗っている全員が言葉をなくすほどの、まさに『何もない地』がひろがっていた。」(1年男子)
「瓦礫を取り除いただけの道路の横には、たくさんの車が積み重なっていました。私は、震災直後の報道を思い出し、テレビで観ていたあの場所に来ているのだと改めて実感しました。」(1年女子)
当日、行ったのは田んぼの瓦礫撤去と民家の清掃のお手伝い。それらの作業を通じて、改めて被害の実態を知ることとなりました。
「私たちがゴミや木材などを取り除いた作業は、あくまでも目に見える範囲だったので、粉々になったプラスチック類がこの土の中に埋まっていると考えると、手が止まりそうになるくらいの無力感に襲われました。」(1年男子)
「担当した家は結構な高台にありましたが、階段の途中まで津波が押し寄せた跡を見ました。床や窓、階段を拭くのが私たちの仕事でしたが、窓はゆがんでうまく閉まりませんでした。お孫さんの写真は全体がにじんでしまっていて、寄せ書きもありましたが色が分かる程度で読むことは到底できませんでした。」(2年女子)
「常に中腰での作業だったためかなり疲れたものの、津波の被害にあわれた人々のことを思うと、休憩時間になっても作業をやめることはできませんでした。ボランティアを通して、私は誰かのために行動することの良さを改めて気付くことができました。」(2年男子)
「天災の恐ろしさ」と「困難を乗り越えようとしている被災した方々の力強さ」を肌で感じるボランティア活動を終えた生徒さんたちは、これから長くつづく復興への道のり、そして自分たちにできることについて、いろいろな思いを巡らしたようです。こうした経験が、地域の復興を支える若い力を養っていくことでしょう。
10月12日、大船渡市立日頃市中学校の2年生のみなさんは、同市盛小学校のグラウンドに建設された沢川応急仮設住宅を訪れました。目的は仮設住宅で生活する方々と協働してのベンチづくり。仮設住宅に住んでいる大工さんからのご指導を受けながら、技術家庭科の授業で学んだ技術をフル活用し、りっぱなベンチを完成させました。
今回のボランティア活動では、『人と人との心の通わせること』のすばらしさと大切さを実感したようです。
「ベンチの材料は岡山県の工業高校から激励メッセージ付きで贈られたものでした。メッセージは手書きで、心がこもっていました。なんだか私まで励まされるような気持ちになり、嬉しくなりました。」
「ベンチ作りの道具や見本はすべて仮設住宅の方々が準備してくださいました。普段できない貴重な体験をさせていただき、私たちの方がお世話になったのかもしれません。」
「私たちだけでなく、仮設住宅の住民の方々とも一緒に、おしゃべりをしながら、笑いながら、活動しました。みんなでコミュニケーションをとりながら、楽しみながら行なうことも大切だと感じました。」
日頃市中学校のみなさんが心をこめて製作したベンチは、仮設住宅地区内に設置され、「人と人とが心を通わせる場所」の目印になっています。
3月の震災以来、募金活動や子どもたちへ絵本や文房具などの物資を届ける活動をしている岩手県立岩谷堂高等学校(奥州市)は、陸前高田市の保育園から子ども用の毛布が不足しているから支援して欲しいとの要望を受けました。「寒い冬に向けて、私たちらしい活動をしたい」という生徒の皆さんが、11月26日に陸前高田市の子どもたちの心と身体があたたまるボランティアに取り組みました。
当日は、地元で呼びかけ集めた子ども用の毛布や三輪車を保育園に届けました。そして、マルモリダンスを一緒に踊ったり、紙芝居を読んで聞かせたり、保育のお手伝いをしました。
ボランティアをした高校生のほうが、被災地のこどもたちの姿に感銘を受ける場面も多かったようです。笑顔いっぱい、元気いっぱいの子どもたちは、「お姉ちゃんたちが来た〜!」「ねえ、こっちに座って!」と積極的で、少し戸惑ってしまった高校生もいた模様。他方で、ふとしたきっかけで子どもたちが伝えてくれた震災のときの様子は高校生の感性を刺激しました。それはまさに今、生きていることが奇跡のような話だったとのこと。
今回、初めて被災地の現場を訪れた生徒さんたちの目が捉えたのは、今もなお津波の爪あとが残る街の風景、そこで前向きにがんばっている子どもたちやお年寄りたち、被災地の復興のために集まっている各国からのボランティアの人たち。心には、復興の町に集うさまざまな人のあたたかい気持ちが焼きついたようです。
日本三大鍾乳洞のひとつ『龍泉洞』を有する岩手県岩泉町では、町のキャラクター「龍ちゃん」の名前を冠した中学校女子バレーボール大会を開催しています。例年、県内各地の中学校が参加し大いに盛り上がる大会ですが、5回目となる今年は、参加校の多くが震災の影響を受け、
大会の開催が危ぶまれていました。しかし、震災があったからこそ、被災した子どもたちにもスポーツを楽しむ場を提供し、たくましく生き抜く力をつけさせたいと、大会実行委員会は被災校を招待し大会を実行することにしました。
校舎を失った学校。被災した学校を受け入れている学校。体育館が避難所になったり、校庭が仮設住宅地となっている学校。震災の影響で、練習をすることもままならない状況にある中学生たちにとって、大会へ参加できることは大きな励みになったようです。
大会当日、これまでのがんばりを結果として残したい!と12市町村からの全16チームは白熱した対戦を繰り広げました。
いろいろなチームと交流する中で、技術もさることながら、「集中力を高めること」「チームワーク」「失敗した人に笑顔で声をかけること」「声がけを絶やさない」など、バレーボールに臨む気持ちや姿勢について課題を見つけた選手も多かったようです。
「龍ちゃんカップで、暗かった気持ちも、明るくなっていき、とても助かりました。」「いろいろと支援をしてくださった皆様への感謝の気持ちを忘れずに、これからも練習に励みたいと思います。」
大会への招待を通じて、被災したチームがこれからも前向きにがんばる気持ちを応援することができました。
釜石東中学校は、震災により校舎を失い、今も他校を間借りして学校生活を送っています。生徒さんたちの多くは仮設住宅地等で生活をしています。そのような状況の中、これまで6年間継続してきたボランティア活動に、10月13日に全校生徒187名で取り組みました。
今年のテーマは、『防災と復興』。
今、自分たちができる、地域のためになる活動として「緊急搬送の実演演習」「花壇の整備」「仮設住宅入居者の血圧測定」「福祉施設の方々との交流」「復興にむけての語り合い」など、10のコースに分かれて行ないました。生徒さんたちにとって、震災を体験した今年は、例年とは違った想いがめぐったようです。
「震災後から始まったキッチンカーの掃除や食器洗いをしました。小さなことを地道にやっていくことで、少しでも釜石の復興のお手伝いができると思いました」(復興キャリア体験コース、3年女子)
「地域の方々が震災前の自分たちの街を誇らしく語ってくれ、“また前のようになって欲しい”という気持ちが伝わってきました」(花壇整備コース、3年女子)
「ぼくたちが学んだ無線の使い方をいざというときに、発揮したい」(無線コース、2年男子)
「復興に向けて、何か新しいことをするのも大事だけど、もう一度非常時に備えて救助の方法を学ぶことも大事だと思いました」(救急搬送コース、3年女子)
「自分たちの街を、自分たちの手で、一歩一歩進んでいけるように、自分ができることは何でもやる。自分たちの行動で、他人に幸せを与えたい」(救急搬送コース、1年女子)
「まだまだ“復興”には程遠いと思います。ほとんど失ってしまったと思うのが半分、もう半分はここからどう創っていくのかが楽しみです」(花壇整備コース、2年男子)
「おいしいお茶とお菓子をありがとう」「部屋の中まで音楽が聞こえてきて楽しくなりました。ありがとう」「手作りのお菓子、おいしかったです」「書道部のみなさんの作品をいただきました。ありがとう」「来てくれてありがとう」10月8日、岩手県宮古市田老地区の仮設住宅団地では、たくさんの「ありがとう」が交わされました。
『高校生の力で宮古を元気に!』をテーマに、ボランティア活動に取り組んでいる県立宮古商業高等学校。今回は、吹奏楽部、書道部、茶道部、家政部の4部が力を合わせて、仮設住宅で暮らしている方々に元気を贈る企画を催しました。
吹奏楽部は、“上を向いて歩こう(坂本九)”“ありがとう(いきものがかり)”など、6曲を4回のステージで演奏。どの回も多くの方が集まりました。「すばらしい演奏でした!」「大変心が和みました」「3月11日以来、音楽と無縁でした。皆さんの演奏を聞いて泣きそうになりました。」生徒さんたちの思いは、音楽にのって確実に被災者の方々の胸に届いたようでした。
茶道部は、家政部の製作した手作りお菓子とともに抹茶のおもてなし。おいしいお茶とお菓子もさることながら、一所懸命におもてなしをする生徒さんの姿に元気をもらった方々が多かったようです。「おいしいお茶をありがとう」「しっかりしたお作法でした」との言葉に、生徒さん自身も「次はもっとおいしいお茶でおもてなしができるようになりたい!」という気持ちを強めたようです。
書道コーナーには、「希望」「ありがとう」など、みなさんを元気付ける言葉を色紙やしおりに書いた作品を展示しました。欲しいという方々が多く、作品はあっという間になくなりました。「自分の作品を笑顔で持ち帰ってくれた姿をみて、今回、ボランティア活動をして本当によかったと思いました」と書道部の生徒さん。
参加した51名の生徒さんたちは、進んでお年寄りの方々とおしゃべりをしたり、子どもたちと一緒に遊んだりしました。「たいへんな経験をしているのに、おじいちゃんもおばあちゃんも子どもたちも元気なので驚いた」と逆に元気をもらったという生徒さんも多かったようです。担当の先生も、高校生が復興のために地域に貢献できる可能性を強く実感されたとのこと。今後も、ボランティア活動を継続していくそうです。
9月1日、岩手県大船渡市立日頃市(ひころいち)中学校の1、2年生31名が、津波の被害を受けた大船渡保育園の子どもたちを元気にしたいと、一緒に遊んだり、お昼ごはんやお昼寝の世話をしたりするボランティアを行いました。
日頃市中学校周辺は、大船渡市の海岸から10kmほどの内陸部にある上に、震災直後、しばらく続いた停電によってテレビを観ることができなかったこともあり、生徒たちは市内が津波に襲われた時の様子を目にしていませんでした。その後も、近くに暮らしながらも、被災の実情を断片的にしか見聞きしていなかったため、自分たちのふるさとに起こった大惨事として理解するのに時間がかかったそうです。そこで、「ふるさとの復興者としての自覚をもち、中学生の自分たちにできることをしよう!」と取り組んだのが、今回の保育園でのお手伝いボランティアです。
「はじめは、地震や津波で怖い思いをした園児たちがどんな感じなのか不安に思ったし、対面したときはちょっと緊張してしまいました。でも、元気な園児たちのお迎えで緊張はすぐに解けました」(2年生女子)
「帰るときに『もう、帰っちゃうの?また、明日も来てね』と子どもたちにせがまれ、とてもうれしかったです」(1年生男子)
紙芝居やいろいろなゲームを準備し、小さい子どもたちを飽きさせることなく一緒に遊んだ生徒たちに保育士の方々も感心していました。「家に帰ってから、お兄さんやお姉さんたちと一緒にやった遊びを何回も繰り返して見せてくれました」という園児のお母さんたちからの言葉も、「自分たち中学生にも人のためになるボランティアができる」という生徒たちの自信を後押ししました。その後、仮設住宅に暮らす方々や店舗を再建した人、ボランティアセンターで活動する人たちからいろいろな話を聞き、ふるさとの復興のために少しでも力になりたいという気持ちがみんなの中でいっそう強まったようです。
次は仮設住宅周辺の清掃活動を計画しているそうです。
9月3日、私立岩手中学校・高等学校(盛岡市)で、生徒会主催による講演会が開催されました。テーマは、「立ち上がれ岩手〜これから私たちにできること〜」。
同高校生徒会は、「今後の岩手の復興のために中高校生の自分たちができることを一緒に考えたい」と震災の被害が特に大きかった岩手県沿岸部の宮古高等学校の生徒さんたち210名を招待しました。
講演会のスピーカーは前宮崎県知事東国原英夫氏。幼少期から県知事時代まで、さまざまな経験の話はとてもユニークで、会場は笑いに包まれました。でもその話の随所に、悩みをもつ中高生が前向きになれるヒントが満載でした。招待を受けた宮古高等学校の皆さんたちからは、「震災による復旧復興も、小さなことから一歩ずつ着実に自分がやれることをやっていきたい。」「今回の講演会に招待してくださった岩手高等学校の皆さんに感謝して、今後に活かしていきたいと思います。」などの感想が寄せられました。
8月20日、宮古市実田の仮設住宅内の集会所で、被災者の方々においしいお茶とお菓子をふるまって元気になってもらおうと、同校茶道部によるお茶会が催されました。「自分たちにもできることを何かしたい」という部員一人ひとりの想いが、今回の活動を立ち上げました。
お茶会に招かれた女性は、「以前茶道を習っていたので、とても懐かしいです。学生さんたちとの交流があるのも楽しくて元気をもらいますね。また機会があれば、是非参加したいです。」と、話してくださいました。
茶道部の皆さんも、実際に行動を起こしてみて、感じたことも多かったようです。
「『ありがとう。また来てね』と言ってもらえ、ボランティアお茶会を開いてよかったなと思いました。」「私たち高校生や若い人が元気に笑顔で接することでみなさんを笑顔にすることができると気づきました。」
終了後には、もっと上手におもてなしができるように練習をがんばろう、呼び込みやお客様との会話も改善しよう、とさっそく次回のお茶会にむけてやる気みなぎる意見が交わされました。
茶道部のボランティアお茶会は、今後も宮古市内で定期的に行う予定だそうです。
8月20日、宮古商業高等学校吹奏楽部の皆さんは、宮古市内の福祉施設にて開催された納涼会で演奏を披露しました。曲は「川の流れのように(美空ひばり)」「見上げてごらん夜の星を(坂本九)」「ヘビーローテーション(AKB48)」など計5曲。
「震災があってからいろいろ大変ですが、今日は私たちの演奏を聴いて、元気になってください」というメッセージで演奏開始。観客のみなさんは、演奏に合わせて、歌詞を口ずさんだり、手拍子をしたり、期待以上に盛り上がりました。
演奏の優劣を競うコンクールではなく、今回のように一般の人に楽しんでもらう目的での演奏会は初めてだったという吹奏楽部の皆さん。「今日は聴いてくれる人の表情など反応を直接感じることができて、私たち自身も楽しく演奏することができました。コンクールとはまた違った楽しさがありました。」「この経験を通して、音楽の楽しさを改めて感じました。またそれだけではなくて、音楽で人に元気にするということが、自分自身の成長にもつながるきっかけになったと思います。」と目を輝かせながら語ってくれました。
最後の曲が終わると、会場にはアンコールの声が響きました。
被災地の生徒たちにとって、まずはもとの生活に戻ることが大きな課題ですが、それが徐々に実現してくるに伴い、自分のためではなく周りの人々のために、何かできることをしたいという機運が広がってきました。
FIDRは中学生、高校生が主体的に行うボランティア活動を後押ししたいと考え、「岩手県中高生のボランティア・サポートプログラム〜復興の地から×生徒のチカラ」を立ち上げました。
このプログラムは、岩手県沿岸部において実施する、被災者への支援、母校の復旧、地域の再建などに役立つさまざまな形でのボランティア活動に対して、必要な道具や消耗品の購入、交通費、食事代、保険等にかかる費用を支援します。
ボランティア活動を通じて、生徒自らが大いに学び、まわりの人々をも元気づけ、コミュニティーの復興・発展に繋がることを期待しています。